Report イベント報告

アートと社会2 共同売店から考える恊働—オルタナティブスペースとしての共同売店

2014.10.26

日時2014年10月26日(日)18:00〜20:00(開場17:30)
収録場所KIYOKO SAKATA studio
ゲスト眞喜志敦(共同売店ファンクラブ事務局)、compass/モデレーター

共同売店ファンクラブ事務局の眞喜志敦氏をお招きし、モデレーターに沖縄アートサイトcompassの宮城潤氏をむかえ、多岐にわたる「共同」の事業形態をとる沖縄・奄美地方独自の文化である「共同売店」について伺った。共同売店の歴史は古く、明治期の産業組合(現在の農協や生協の源流)の影響を受けつつ、沖縄で独自に発展してきたものだ。辞書的に言えば、基本的に集落のすべてのひとが出資し設立し、共同で運営している相互扶助組織(現在は主に購買事業を中心に行っている)である。

 

会場の様子

会場の様子

言い換えると集落単位で運営されている生協や農協のような組織であり、沖縄や奄美地方の独特の文化ともいえる。国頭村奥の「奥共同店」が最初の店であり、その後、県全域に広がった。近年では買物弱者問題の解決策としても全国的に注目されている。出資・運営・利用を、全て集落で行い、その利益は地域に還元される。

共同売店の特徴として、幅広い事業を行ってきたという点がある。物を売る、いわゆる①共同購入②共同出荷を基本に、③運輸④精米⑤酒造所⑥信用事業(畜産資金や教育資金の貸出し)⑦バス運営⑧保育園⑨お風呂屋⑩電話の取り次ぎ⑩親子ラジオ⑪有線放送、共同アンテナな⑫ガソリンスタンド⑬食堂⑭理髪部⑮コインランドリーなど、各集落の需要に応じるべく多岐に渡る事業を行ってきた。またもうひとつの特徴として、「コミュニティスペース」としての機能をもつことがあげられる。

 

眞喜志敦氏

眞喜志敦氏

徒歩圏内の商店という側面をもつ「共同売店」には、地域のひとたちが自然に集まるスペースが生まれる。そこでゆんたくし、情報交換が行われることで、地域の絆が育まれる。いわば「公民館」のような環境が、自然にできあがる。海外の事例として、オーストラリアのマレーニという町の住民がコミュニティで所有する店やパブについて紹介された。

スーパーの組合、カフェの組合、地域通貨の組合、水を使う組合など、地域のひとびとが様々な組合を作り、地域を再生した。コミュニティスペースだけでなく、高齢者や子どもを地域の人々みんなで見守る福祉的な役割をもつほかに、地域の活性化にも役立っている。

 

 

 

参加者からは、具体的な運営の方法について質問があった。売店での利益を地域へ還元するというなかで、①「税金」はどのようにかかっているのか、②NPO法人や生協に加わるべきではないのか、③売店の店長はどのように選ぶのか、など。

これらの回答について、①小売店としての課税は当然あり、その上で利益があれば分配される。酒類販売等に関わる法的位置づけについては沖縄では黙認されてきた歴史があり、実は曖昧である。②最近はNPOが支援したりする例も出ているが、地域のひとびとに受け入れられるまでに時間がかかる場合もある。

 

会場の様子

会場の様子

今後、NPO法人化や生協への加盟などにより法的な優遇を受ける選択肢もあり得るが、その場合、法に縛られ自立性が損なわれる懸念もある。③責任者は町長などを選ぶのと同様、選挙で選ぶのが基本だが、個人が運営を請け負う例が増えている。しかし若者が少なくなっていることもあり、受け継いでいけるひとがおらず、運営が難しい状況に陥っている集落も多い。など、多岐にわたる「共同」「恊働」の在り方を紹介していただき、それらのメリット、デメリットについて広く見識を深める場となった。

 

共同売店:沖縄と奄美にある独特な相互扶助組織で、1906年に沖縄本島北部、国頭村奥で誕生。生協や農協に似た協同組合組織で、現在は主に購買事業(共同購入)のみを行っているが、かつては非常に幅広い事業を展開し、戦前戦後の沖縄の集落を支えてきた。近年、過疎や買い物難民問題などで全国から注目を集め、また、防災、ソーシャル・ビジネス、途上国支援などの分野からも関心を集めつつある。

 

ゲスト略歴

眞喜志敦:1971年豊見城生まれ。東洋大学文学部印度哲学科卒。フリーの編集者、植木職人を経て帰沖。地域、環境教育、循環型農業などのNPOに携わる。2004年、共同売店ファンクラブを設立。ホームページや書籍を通じて各地の共同売店の現状や役割を発信し、ガイドマップの作成や写真展などイベントを開催。
現在、週刊レキオにて「笑って買って!ゆいまーる マチヤグワー編」を連載中。