Report イベント報告

行政・企業と連携したアートイベントのゆくえ

2014.09.23

日時2014年9月23日(祝・火)14:00-16:00(13:45 開場)
収録場所沖縄県立博物館・美術館 美術館講座室
ゲスト翁長直樹

「2000年代の沖縄美術についての検証と次世代の沖縄を考えるプログラム」の初回のイベント「行政・企業と連携したアートイベントのゆくえ」が行われた。ゲストは、元沖縄県立博物館・美術館副館長の翁長直樹氏。聴き手として元前島アートセンター理事長の宮城潤氏が登壇した。
各地で国際芸術祭やアートプロジェクトと呼ばれるものが盛んに行われているが、それらの多くがアーティストと行政・企業が連携し、役割分担をしながら行われている。

翁長直樹氏

翁長直樹氏

今回は、1996年に行われた「アトピックサイト」展の事例を中心に、参加者とともに行政と企業、現場のアーティストたちとの関わりについて検証を行った。

「アトピックサイト」展は、1996年に東京ビッグサイトで行われた、世界数カ所でなされているプロジェクトを紹介する展覧会である。沖縄でもそのひとつのサイトとしてレジデンスプログラムが行われた。これが、複雑な展覧会であったこともその特徴のひとつである。

そもそもは東京都市博覧会が中止されたことの代償として開催されたのが、「シーサイドフェスタ」であり、このプログラムのなかのひとつとして開催されたのが「アトピックサイト」展である。

さらに、このなかのプログラムのなかのひとつが「アーティストインレジデンス沖縄」だった。当時、沖縄へレジデンスで訪れたアーティストや企業と直接対面した翁長氏を中心に、その時の関係者である参加者とも活発に意見を交わすかたちで会がすすめられた。
今回のプログラムの検証において、主に次のような意見を得ることができた。行政から業務を委託された企業が中心になってすすめられたこと。アーティストインレジデンスのプログラムのテーマが「基地問題」であったことから、企業側が行政を巻き込んだ検閲が行われたこと。アーティストたちのいる現場と企業と行政との連携がとれていなかったために様々な混乱が起こったことなど、問題点があがった。

 

会場の様子

会場の様子

一方で、展覧会がおわったあとも機材や組織が残り、それが今現在でも続き、活用されているものがある。また様々な業種の多くのひとが、レジデンスがあったことにより当時あまり人が集まりづらかった場所に集い様々な関係性をもつことができたという側面もある。このように人との繋がりをいかに次に繋げていくことができるかということが関係者のなかでも大きく二分した面もみられる。この展覧会によって沖縄の美術家が世界へ活動の場を求めるようになり、沖縄のコンテンポラリーアートの幕開けでもあったとの参加者からの意見もあった。

 

 

会場の様子

会場の様子

 

 

 

これらのことから、行政や企業との連携には中心となる組織が必要である。そして、開催者側の意図にそぐわない「表現」を統制、検閲する行政や企業に対して抗う力を身につけること。今後必ず訪れるこの大きな潮流にいかにしてむきあっていくか、問題提起になった。

 

 

 

 

 

 

ゲスト略歴
翁長直樹:1951年沖縄県生まれ。琉球大学教育学部美術工芸科卒業。1995年から県立美術館建設担当として、2007年の開館以来携わり、2009年、同館副館長に就任。主な企画展として「沖縄戦後美術の流れ1,2」(1995)。「沖縄文化の軌跡」(沖縄県立博物館・美術館開館記念展,2007)、「移動と表現」(2009)。アメリカ現代美術から沖縄戦後美術を中心に評論活動を展開。