Interview アートに関わる様々な方へのインタビュー記録

平良知二

沖縄県立博物館・美術館

Profile

(株)沖縄文化の杜共同体 顧問

■指定管理者をやることになった経緯

町田)沖縄県立博物館・美術館が開館して、指定管理者制度が導入されました。その制度自体が、他県でもあまり例がないにも関わらず、新聞社の沖縄タイムス社(以下タイムス)が手を挙げた経緯をお聞かせ下さい。

 

平良)タイムスは創業理念として、新聞事業の他に沖縄の文化復興について強い関心を持っていました。沖縄戦による荒廃から立ち直るには文化復興が中心になるべきだという創業メンバーの強い想いがあって、創業とほぼ同時、一年遅れだったか、今の『沖展』の前身の芸術企画展を始めるという強い想いがあったんです。

 

町田)何年のことですか。

 

平良)タイムスの創業は1948年、沖展は49年かな。最初は別の名称でしたが、以降、綿々と僕らの時代まで沖展は続いていて、『沖展』だけじゃなくて、琉球舞踊、古典音楽など芸能関係についてもコンクール制度を設けて、育成に努めてきたという流れがあります。

そういう中で、2007年秋に沖縄県立博物館・美術館が開館する訳ですが、開館に向けた件の動きのなかで、どうも館は県が直接管理するのではなく、民間に指定管理者という形で運営を預けるという情報が入り、それで、文化に対する基本的姿勢、沖展などの実績があったので、指定管理者に応募してみようかという動きがタイムス内でありました。

当時、タイムスの中で中心になったのが、経営企画室です。ここは、新聞に関連した事業、あるいは経済、文化的な企画そういうのを立案していく部署ですが、首里の県立博物館が新館に移転するというので、当時の経営企画室のメンバーが何か移転企画などを県として計画しているかどうか聞きに行った際、新しい博物館・美術館は運営を民間に任せると言う情報を得ました。それをもとに、役員会に提起があり、役員内部で講談をし、応募に至りました。

一番の不安は財政面でした。本来の新聞事業も決して楽ではない。本業以外で問題が起きて、財政が厳しくなるとまずいという声もありました。しかし、指定管理料で新規の従業員などの人件費は賄えると試算し、僕ら(タイムス)の考えとしては、大幅な赤字はだめだが儲ける必要はない、トントンであればいい。沖縄の新しい文化拠点に関わる意義は大きいという想いでした。

 

 

■応募から現在に至るまで

町田)応募はいつされたんですか。開館のどれくらい前とか分かりますか?

 

平良)開館の年(2007年11月)の正月に“受け皿”の中心となる(株)沖縄文化の杜を発足させ、その後、国際ビル産業も加えた文化の杜共同企業体をつくり、タイムスから社員を出向させ、応募作業を集中して進めました。

指定管理者に決定(内定)したのは同年の5月29日。応募3団体の中から選ばれました。正式決定は6月の県議会です。それから開館日まで学芸員や施設管理、総務関係など、とにかく人員の確保だけでも大変だった。カフェの経営、ミュージアムショップの内容などやることが山積みだった。

 

町田)文化の杜以外に手を挙げたところをご存知ですか。

 

平良)審査評価は僅差だったと聞いています。タイムスのこれまでの沖縄における文化に対する貢献、沖展等の実績、それとどういう企画をやっていくかという企画の提起の仕方が評価されたのかと思います。

 

町田)沖縄で二社しかない新聞社のうちのひとつが公共の施設を運営することに、今でも難を示す方はいると思いますがどう考えますか。

 

平良)なぜ新聞社がやるのかという疑問が県民の中にはあるかもしれませんが、応募に至る過程で社内ではなかったと記憶している。

 

町田)疑問を持った社員がいたとしても、社として決定した以上は方針に従わざる得ないということはないですか。

 

平良)新聞社が行政と一体となってやっていくことに疑問を抱く人は当然いるでしょう。ただ僕らはそれよりも、沖縄文化の拠点を築く、この事業に関わることに意義を重くみた。新聞社はタイムスに限らず、文化活動をしていますから、その意識は強かったです。ただ、財政的な心配、社内から人員が割かれるのではという声はありました。

 

町田)実際に運営がはじまって、一期目を終え、経営業績としては赤字だったにも関わらず二期目を迎え、現在に至っています。その間の状況についてお話し下さい。

 

平良)いくつか一期目から変わった点があるんだけど、ひとつは(指定管理者が担当する美術館の企画展が)4本から3本になりました。(展覧会予算は)1本につき700万円というのが基準として指定管理料の中に組まれており、4本→3本になったので(予算も)1本分減らされました。

その分も含め、大きな変化は指定管理料が全体として2400万円減額されたというのがあります。光熱費が当初これだけの規模の施設ということもあり、かなりの額を県は見積もっていましたが、実際は予算より少なく済み、その一期目の実績を受け、その分も減額となりました。

しかし、以前から問題提起をしているのですが、一方で入館料が県の見込みと違っていて、試算の60%しか入っていない。そうであれば、光熱費の減額同様、この分(見込み違い)はプラスしないといけないのではないかと思うのです。それで、二期目の途中に指定管理料の増額を要請したのですが、一旦契約した以上、額を改めるわけにもいかず、苦心しながら今までやってきているところです。

指定管理者者の収入としては、観覧料の他に施設利用料があります。講堂や講座室、県民ギャラリーなどを一般の団体、企業、グループに貸し出すのですが、その稼働率についても今でも十分やっていると思いますが、県の試算はそれ以上に見積もっています。

いずれにせよ、館運営の財政状況は厳しい。応募のとき、「大幅な赤字はだめ」とあったが、現実はそういう状況に陥っています。

 

 

■博物館との複合施設であることについて

町田)当館が複合施設として、博物館と一緒になっていることについてはどう思われますか。

 

平良)運営してみて、そんなに違和感はなかったけど、博物館、美術館についての全国的な動向など聞いてみると、両館がひとつというのは少ないし、普通ではないんだなという想いはある。複合ということで、例えば、美術館的な展示、博物館的な展示と明確に分けず、相互相乗りした形態での展示だったりのメリットはあると思う。

 

町田)美術館だけだと、入館料収入が少なくなる可能性があり、指定管理者制度においては厳しかったと思うんですね。博物館との複合施設であることのメリットは大きかったと思います。

 

平良)美術館のみに指定管理者が企画を義務付けられているのはそのような意味があったと思う。はじめての美術館だから、県の企画展だけでは収入面で苦労する。複合の経緯は財政問題だと思う、指定管理者に美術館企画を担ってもらい、財政問題を解消させようという考えもあったかもしれない。

 

町田)美術館は博物館のリニューアルにあわせてできることになった、言い方は悪いですが、博物館に付随したようなかたちでできることに対して美術関係者から不満が出て開館までにいくつか動きがあったことはご存知でしたか。

 

平良)詳しい経緯はほとんど知らなかった。実際に運営をはじめて、開館までにいろいろ問題があったということは聞きました。

 

町田)知らなかったから、運営などについて周りを気にすることもなかったのかもしれません。

ただ、開館して8年目を迎え、指定管理者ががんばっていることも多くの人に伝わっていると思いますが、一方で中長期計画といった県の動きもあり、三期目に向けて今後の展望をお聞かせ下さい。

 

平良)指定管理者制度の重要な点は指定管理料でしょう。当館に限らず、いま自治体、各分野で指定管理者制度は一般的になっています。いわば、民間活力を活かしてもらおうという考えです。しかし、民間は委託を受けて、収支面で厳しさが続くと当然ながら考え直します。収支が安定しなければいけません。

その点、いまのままでは厳しいと思います。

価値のある展覧会と大衆性のある展覧会、多様な企画が必要だと考えます。企画の多様性、質の向上という意味でも民間の企画力を引き出していく指定管理者制度は意義のあることだと思います。ですが、民間の企画が常に一定ではないし、試行錯誤をしている現状です。

 

 

聞き手町田恵美
収録日2014年11月20日