Report イベント報告

沖縄県立博物館・美術館建設と前島アートセンター設立

2014.11.09

日時2014年11月9日(日)14:00〜16:00(13:45開場)
収録場所沖縄県立芸術大学首里当蔵キャンパス一般教育棟1階101教室
ゲスト小林純子(沖縄県立芸術大学教授)、宮城潤(元NPO法人前島アートセンター理事長)

小林純子氏現在の沖縄県立博物館・美術館の計画は1990年が最初で、当時は美術館と博物館は別々に建設する予定であったが、那覇市新都心の再開発という問題から博物館新館建設と美術館新設の動きがリンクし、同一区画内に件の文化施設を建てるという基本構想が91年から92年にかけて決定された。

その後93年に県立美術館基本構想検討委員会にて基本構想を策定され、94年からは県立美術館設立に向けての大規模なシンポジウムが度々行われるようになり、なかでもとりわけ大きなものは、1994年2月26日にRBCホールで行われたシンポジウムがある。

反復帰、反国歌論のスタンスを踏襲しながら、アジアへの広い視野と活動の広がりが明確に示され、県の基本構想、基本計画に、アジアの拠点である沖縄という地域性を打ち出していくということと味愛の現代美術の収集を方針に組み込まれる。

 

会場の様子

会場の様子

同年9月に基本構想の基本理念が策定された。当時策定された沖縄県立現代美術館(仮称)の理念は以下の3つである。

①人間の根源的な観点を呼び覚ます、人間復興の最前線として考えること。

②現代を見つめ未来への展望を築き上げていく場として機能する美術館を目指すこと。

③地域性と国際性を同時に共存させる視点を持つこと。

 

バブルが弾けて県の財政状況が悪化したことで、設計者と基本設計が97年に作成されるも予算不足から建設が見送られ、99年には建設自体が凍結される。前島アートセンターは、この凍結期に当たる2001年から活動が開始された。

 

会場の様子

会場の様子

その後、2002年に再び美術館の建設が復帰30周年事業として決定され、03年には当初の計画よりも予算も規模も縮小し実施設計が行われ、04年に起工、07年に開館に至った。

美術館設立運動がもっとも盛り上がった90年代の時点では、民間や美術関係社の意見を多く取り入れ、実際に基本理念や基本構想へも反映されているが、00年代になると建設運動にかかわる運動はほとんど反映されず、一方的な意見交換会や説明会が開かれていただけであった。

また美術館内部でも意見の食い違いがあった。博物館と美術館にそれぞれ館長をおくという予定が行政の介入により、民事が反映されず館長は両館を合わせて1名という結果を生んだ。

 

 

こうした行政と民間との関係のなかで、行政にたよらず発足した先駆けである前島アートセンターのような存在が現在は多くみられる。これは今後の県内のアートシーンに大きな希望をもつことができるのではないだろうか。

 

ゲスト略歴

小林純子:東京都生まれ。成城大学大学院文学研究科美学美術史専攻博士課程前期修了。専門は日本近代美術史、沖縄美術工芸。東京都江戸東京博物館学芸員を経て、1999年沖縄県立芸術大学芸術学専攻へ赴任。沖縄県立博物館・美術館の建設準備に関わり、現在は美術館支援会happ理事。さらに前島アートセンターの理事として、沖縄の2000年代の美術動向を見続けてきた。

宮城潤:沖縄県那覇市生まれ。沖縄県立芸術大学大学院(彫刻専攻)修了後、2001年前島アートセンター設立、初代理事長を務める。沖縄県立博物館・美術館にも関わり、2007〜2010年は指定管理者「文化の杜共同企業体」アドバイザー、2012年〜沖縄県立博物館・美術館協議会 ワーキング会議メンバーを務めている。現在は、NPO法人アートNPOリンクの理事。沖縄アートサイト「compass」メンバー。