―4つの芸術祭の特徴として共通して地域をフィールドにしている。運営方法はさまざまですが、どうしてその地域だったのか、その地域になにをもたらしたか。(樋口)
宮城:2002年に前島と農連市場で始めたのは、ディレクターふたりのフィールドの違いです。地域性は異なるが沖縄の文化の有り様がどちらにもあって、魅力、課題、その共通点を見いだして場所を活かした、地域にあるものを別の視点でみていく展覧会にしたい。地域をフィールドにするのは前段があって、農連市場はなくなるかもしれない、前島は暴力団抗争といった課題がありました。そこで私たちが活動することに活路を見いだしていくという地域の人は殆どいなくて、農連市場についてもさまざまな人がいろんな視点で見ていたと思います。アートが地域に入ってくることに抵抗もなかったし、期待もなかったと思います。
菊地:うるまシマダカラ芸術祭は、うるま市の観光物産協会さんからプロモーションうるまが業務受託しています。芸術祭は、うるま市の事業で総合計画のなかのひとつである島嶼地域の活性化に伴って行われています。イチハナリアートプロジェクトが6年間あったからこそ地域の抵抗はなく、すっと入っていけたというのはあります。地域の方とは、僕自身が住民であり、うるま市観光物産協会さんやプロモーションうるまも7~8年島嶼地域とやり取りをしてきているのでその関係性に基づいてチャレンジできていると思います。今回から実行委員会と制作委員会が立ち上がり、自治会の方々とも会議を持っていました。区長さんも一緒にできるパートナーになりつつあると思っています。
仲里:すでぃる立ち上がったときに摩文仁という場所が大事で、そこでやる意義は強かったと思います。白梅の塔での展示は、あるシンポジウムで先方から使ってくださいという申し出がありました。展示する作家はこちらで配置するのではなくて、やってみたい人、今回は私が名乗り出て、高校生の作品を展示しました。当時中高生だったひめゆり学徒隊を想い「平和鎮魂」を、制作だけでなく証言を聞いたりもしました。地域との関わりとしては、豊光さんが地域の方々を撮ったしまくとぅばの映像上映を各公民館でやっていて、地域の方が来て交流があります。
仲程:もともと雑誌「モモト」につくっていたときに、沖縄のよしもとさんが北部でアートフェスティバルを企画していて総合ディレクターを探している、仲程さんにお願いできないかと言われたことがきっかけです。担当者が僕の作品集「母ぬ島」を見てくれていたり、塩屋小学校が会場と聞いて、40年前にその近くのホテルシャーベイでレリーフをつくっていた縁もあり、関わるようになりました。総合ディレクターの仕事は1年目だけで終わると思っていたんですが、今年で3年目になりました。エキシビション部門とクラフト部門があって、それぞれキュレーターがいます。僕の仕事は、県外から参加するアーティストに方言のレクチャーを頼まれて、民謡酒場に行ったりとか。今年は会場に地域のおじい、おばあが常駐してくれて、お客さんとゆんたくするコンシェルジェとして参加してもらいました。
―地域と絡みながらそのアーティストの個性をどう出すのか、そのバランスについて(会場より)
菊地:地域は繊細な場だと思っていて、傷つけないようにバランスをとっていく必要があります。しかし、アーティストの尖っている部分と地域のいろんなポテンシャル、それぞれのいいところを消して丸くなっちゃうのは勿体ない。なので自分たちの役割は、あくまでも接着の場や関係性をつくる。アーティストと島の人が出会って話しながら、互いに尊重し制作に向けていく関係は意識しています。「地域づくりには風と土の人が必要だ」という考えがあります。外から来た作家など風の人、地域に暮らす土の人。しかし社会や地域状況の変化で硬くなってしまった土に対して、風の人がアートの種を落としても地域に根付かない。藤浩志さんは、そこに水の人であるコーディネーターが必要と話していた。水は土を柔らかくして種に水を与えて根付きと芽生えを促進する。その芽が、腐ったとしても地域の肥料になる。そうするとだんだん土が肥えて、土壌が育まれていき新たなプロジェクトが育ちやすくなるという考えです。
宮城:硬直化したり、自分たちの資源に気付いてないところにアーティストが入ることで見えてくる。ちょっとした働きかけをする、後押しをする仕掛けをいまやっています。活性化といっても人それぞれイメージは違う、そのなかで異質なものが入ってきたら摩擦が起きて活性しますよね。それをどう導いていくか、折り合いをつけていくか、日常的な訓練だと思っています。
仲程:やんばるの素材を使ったアート、やんばるに循環、還元するアートとして、つくったものはこの場所に還そうというコンセプトがあります。
―予算規模、アーティストへの謝金について(会場より)
宮城:回ごとに違っていて、2002年が50万くらい。それ以外は、助成金で500万円くらい。アーティストには上限幾らで制作費を出していました。
菊地:全体予算が1900万円で、イチハナリのときの約半分でやっています。作家さんにもお支払いしています。作家選定は島との相性を考えつつ、他のプロジェクトなどを見て、事務局で提案して、制作委員会、実行委員会に承諾いただく流れでした。
仲里:作家への支払いはありません。会場は県主体、共催していただいて無料で提供いただいて、予算は広報費、冊子などが主で、文化振興会の助成金を受けています。
仲程:1回目、2回目は助成金をとったと聞いていますが、3回目は企業協賛が中心で約3200万円くらい。作家へのギャランティはアーティストによって幅がありますが平均は20~50万円くらいでしょうか。今年はクラフト部門の売上げも好調でした。
―沖縄における芸術祭の意義、展望について(樋口)
仲程:地域と皆さんに共感していただけなければ密着できないですし、顔を覚えてもらうだけでも二年くらいかかりました。地域に入って顔を覚えてもらうことの重要性を感じています。
仲里:沖縄という地で大事な展覧会だと思って続けています。アートを通して試行錯誤しながら、作家一人ひとり、平和についてアートで沖縄の未来に残せたらいい、地域と繋がりがないとできないと思っています。
菊地:尖った者同士の難しさと可能性がある。その時には水の役割である事務局やコーディネーターが大事で、自分たちは地元との関係性を積み重ねて、間(あわい)を繋ぐことを追求したい。表現の可能性と地域の可能性を相互に発揮できたらと思います。
宮城:いまは芸術祭に関わってはなく若狭公民館で館長をしています。社会教育はアートとの親和性があり、社会教育の現場で必要だと思っています。ぶつかったり、摩擦のなかであたらしいことが生まれるのが重要で、芸術祭という祭りを祭りのあとで終わらせるのではなく、祭りのあとなにを残すか、先に続いていく、消費させていくだけでなく、あらたな種を生み、育てていくために芸術祭があったらいいなと思いました。
―会場からのコメント
・wanakio2002年、マブニ・ピース、やんばるアートフェスティバルの1回目に参加しました。作品を見たやんばるアートフェスティバルの関係者からお誘いがあり、制作費は出なくて、設営費を出してもらいました。沖縄で作家活動をしている人を発信する場としての機能にも力を入れていただけたらと思いました。
・地域の特徴があって、アートも強い、そこに課題と可能性がある。アーティストが触媒の役割を持っている。地域でアートをやると、どちらもパワーが必要だと思います。