Report イベント報告

「2000年代の沖縄における美術の検証」:事例発表 阪田清子氏

2019.03.13

日時2019年1月27日(日)13:30〜16:00
収録場所沖縄県立博物館・美術館 博物館実習室
ゲスト第1部 事例発表者:阪田清子

こんにちは。阪田清子です。少し私の説明からしますと1995年に沖縄県立芸術大学(以下、沖芸)に入学するために沖縄に移住してきました。大学院を2001年に修了して、2000年代に入る頃に自分の作家活動が始まったという経緯があります。今回のこの2000年代の沖縄のアートというテーマはすごく興味深く、今日は自分の活動も振り返りつつお話ができたらと思っております。

事例発表者:阪田清子まずは、大学院を修了する2001年1月終わり頃に、前島アートセンターが立ちあがる直前の高砂ビルを使って沖芸の学生たちと一緒にグループ展を行うという事がありました。当時は本当に廃墟のような、と言ったらちょっと失礼かもしれないんですが、その場所は時間がそのまま止まっているような印象で、でもそのことが、私や一緒にグループ展を行った学生たちは心をくすぐられて、ワクワクしながら夜中までこの廃墟のビルの中で展覧会の準備をしたことを思い出します。
その時のグループ展というのはビル全体を使ったのですが、私は五階にある中華料理屋さんの客席を利用しまして、食器やそこに残されていたものを使って展示を行いました。この頃、「記憶」をテーマに制作していたこともあって、テーブルに置かれた食器の中にビル内の写真を封じ込めて、その食器を覗いた時にゆっくりと記憶を回想するようにそれら映像が見えてくる、という作品でした。
いわゆるホワイトキューブと言われる白い壁の空間ではなくて、その場所に行き、その場所と関わって、その場所のものを使って制作する、というサイトスペシフィックな作品を初めて行ったように記憶しています。大学院を修了し、大学を離れてどう作家活動を行うかという時に前島アートセンターが発足して、展覧会を見に行ったり、何も用事がなくてもお喋りをしに行ったり、日常的に遊びに行く場所だったと記憶しています。
阪田清子作品紹介

前島アートセンターに関係した事柄では、2002年の「フォトネシア」という展覧会に参加したり、2006年には前島アートセンターからの派遣で台湾の高雄と台北に2週間ほどレジデンスに行きました。
あとは、wanakioの2003年と2005年に参加しています。2005年のほうの作品を少しだけ説明したいと思います。展示会場は、那覇市の久茂地小学校でした。今はもう廃校になりましたが、当時は子どもたちがいつも通り登下校して賑やかでした。その中、空き教室を会場に使用させていただいて、放課後から下校までのだいたい3時間くらいの時間を使って展示公開していました。

どういう作品かというと、まずは小学校の子どもたちにそれぞれお弁当箱と、自分の好きな、気に入っている写真を持って来てもらいました。空き教室内で、一つずつお弁当箱を机の上に置き、それにライトを当ててできた影の中に構成した写真を入れ込む、というものです。
作品には家庭と学校を繋ぐイメージを持っていて、なので、家庭や移動を表すものとしてのお弁当箱と持ち主の記憶の残像のような影と教室というのが合わさって、ひとつの作品になっています。それを一クラス分展示しています。それ以降の2006年から2011年までは、作家という立場よりも今度はもうちょっと内部に入って前島アートセンターの理事として加わり、スタッフのような形でお手伝いをしました。残念ながら2011年に前島アートセンターは解散してしまうんですけど、現在このNPO法人racoでは、前島アートセンターとwanakioの資料整理を行っていて、それがまた新しい形でアーカイブ化できたらと思っています。

2011年というのが、ひとつ、自分にとってもキーワードになってくるので、その後どんな活動を行ったかということを次にご紹介したいと思います。前島アートセンターと入れ替わる形で立ち上がった活動として、「アートサイトcompass」というのがあります。
思い返すと、たぶん2011年暮れぐらいだったと思うんですけど、宮城潤さんと照屋勇賢さんと大山健治さんと私でご飯を食べていて、前島の解散後は沖縄のアート情報を発信する場所がなくなってしまうという話から進んでいったように記憶しています。そのあと、平良亜弥さんと儀間朝龍さんも加わって、6名でウェブサイトを立ち上げ、活動が始まりました。
初めは展覧会情報が主ではあったんですけど、そのあとアーティストトークを行ったり、シンポジウムや展覧会も行っていました。2012・13年の2年間がすごく活発に動いていたと思います。実は2014年以降は活動が休止中で、各メンバーがそれぞれの仕事のほうに向かっているという形です。ただ、ウェブサイトが残っていますので、どのような活動をやったかという内容は見ることができます。

事例発表者:阪田清子

次にご紹介するのは、2011年に那覇市で自分が運営を始めたスタジオプラスオルタナティブスペースについてです。作家活動をしておりますので、まずは制作場所というのが大きな理由としてあるのですが、でも同時に私だけの場所ではなく、いろんな人たちが集えるような共同空間にもなれたら、というイメージを持ってスタジオを借りた経緯があります。
先ほど震災の話がありましたが、当時沖縄では震災をきっかけに移住してくる人が多く、そこで活発な意見が起こることもありました。私にとっても、制作と同時に、いろんな人とお話を交わしていくことというか、そのような場にもなる共同空間というところにも、沖縄で生きていく上で必要なこととして、自分が欲していたと思います。
共同空間としては、その活動は制作の合間という形にはなるんですけど、アーティストトーク・映画上映・シンポジウムなどをしてきました。今までご紹介した、例えばアートサイトcompassやlas barcas、NPO法人racoとその前身になるシマアートラボの活動の場所としても活用しています。
2016年には、韓国の釜山で活動している、「ヒム」という若い作家たちが集まって作ったスペースの人たちとも交流が始まり、スタジオでトークやワークショップを行いました。
これがスタジオの年表になるんですが、2011年1月ぐらいからリノベーションを始めて、いろんな自主企画であったりとか、持ち込み企画を開催しています。実際にスペースも整備しないと使えない状態だったので、正確なオープンは2011年10月になります。

前島アートセンターから始まり、2011年以降の私が関わった活動についてご紹介をさせていただきました。2011年以降というのが、一つまた沖縄の中では、大きな動きになってくるのかなぁというふうにも感じております。