Interview アートに関わる様々な方へのインタビュー記録

前島アートセンター

石垣克子

ホワイトキューブから外に出る     仲宗根:石垣さんが前島アートセンターに関わるきっかけについて教えていただけますか。   石垣:まずは、前島アートセンターができる前に欠かすことのできない、前島三丁目ストリートミュージアムというアートイベントがありましたのでそのお話から始めます。前田比呂也さんから、高砂ビルというビルを使って、前島三丁目ストリートミュージアムというアート展を開催するから出してみませんか?という依頼があったと思うんです。...

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仲本賢

■前島アートセンターでの活動 宮城)2000年代の沖縄のアートシーンの調査と記録を大きな題目としていて、その中で仲本先生には前島アートセンター、wanakio、それ以降の解散してから現在までの三つの柱でお話をお伺いしたいと思っています。まず前島アートセンターとの関わりの頃の話をお聞きかせください。   仲本)2000年頃に美術館が建つから、その前段階として前島アートセンターをやるという噂を聞いて、僕は発足から一年くらい遅れて何となく関わるようになった。実は最初は声も掛...

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平良亜弥

■前島アートセンターに入るきっかけ   町田)まず前島アートセンター(以下、MAC)との関わりから聞いていきたいと思います。前島に関わるきっかけにはどういった経緯があったのでしょうか。   平良)琉球大学(以下、琉大)の教育学部の美術教育専修を2005年に卒業したんですが、当時、MACの理事をしていた永津禎三先生から事務局募集のメールが卒業生に送られてきました。就職は特に決まっていなくて、バイトをしながらしばらくは制作活動をしようと思ってい...

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永津禎三

■前島アートセンターとの接点、「wanakio」への参加 (町田)2001年に入って前島アートセンター(以下、前島)が立ち上がりますが、前島について知ってる範囲でお願いします。   (永津)前島に関しては、当時の琉大の学生が、ストリートミュージアムに参加しますっていうので、あのビルの空き店舗に見に行ったのが最初。 そのあとアートセンターの立ち上げの会みたいなのがあったんですよね。で、それにたまたま赴任したばかりのティトゥス先生を連れて行ったら、彼がぴったりハマって、って...

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岡田有美子

事務局からみた前島アートセンター   ■2005年の前島三丁目 私にとっての沖縄は2005年、前島3丁目という場所から突然始まりました。3月に大学を卒業し、大学の先輩を引き継ぐ形で6月半ばにトランクひとつで沖縄にやってきました。港のすぐそばながら青い海は見えず、朝から晩までお酒のニオイのする前島三丁目。前島アートセンター(以下、MAC)のあった高砂ビルのオーナー、山城幸雄さんの自宅はビルのすぐ裏手にあって、山城さんはその2F、3Fでドミトリーを経営していました。10人...

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宮城潤

■MACの背景—沖縄県立現代美術館構想と前島暴力団抗争 前島アートセンター(以下MAC)は那覇市前島三丁目で活動がスタートしています。前島三丁目の町の背景をお話しすると、港町の歓楽街、飲み屋街として昔は栄えていたところで、1990年に暴力団抗争が県内で激化した時に高校生が犠牲になってしまう事件があり、それ以降、客足が遠のいて寂しいところになっていました。そこでMACができる前、2000年の秋に『前島三丁目ストリートミュージアム』というのが始まります。当時沖縄県立現代美術館の構想がありながら...

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国吉宏昭

■前島3丁目の歴史 岡田)今日は前島アートセンターの成り立ちについて、そのきっかけを作った国吉さんにうかがいたいのですが、まず、前島アートセンターができる前に行われた企画「ベトナム現代作家展」についての経緯についてうかがってもよいでしょうか。   国吉)なぜ前島アートセンターができたかというその前の話があるわけさ、前島アートセンターがあった場所は昔高砂殿と言っていたでしょ。この高砂殿というのは結婚式場だったわけです。沖縄で最初かな?結婚式場。それからね、『赤い靴』とい...

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