Interview アートに関わる様々な方へのインタビュー記録

仲程長治

2010年代

Profile

やんばるアートフェスティバル総合ディレクター/写真家

やんばるアートフェスティバルの立ち上げ、関わるきっかけ

阪田:では、よろしくお願いします。まず最初に、やんばるアートフェスティバルが2017年からスタートしたかと思いますが、その立ち上げについて、お話を聞かせください。

仲程:2017年の春頃に沖縄のよしもと(よしもとエンタテインメント沖縄)の担当者から連絡がありまして、その頃、僕はまだ「モモト」という雑誌をつくっていましたので、編集部まで来ていただきました。お話は、沖縄の北部地域、やんばるで現代アートのイベントを始めるので、そのディレクターをお願いしたいということで。「なんで僕に?」って聞いたら、少し前に出版した作品集(『母ぬ島 –Mother Islands』)を見て、お願いしたいと思ってくださったそうです。最初の仕事は、アートフェスティバルのロゴマークデザインと、初年度のコンセプト設計でした。
最初に見せていただいた企画書に、「こんな方に参加してほしい」という県内アーティストの想定リストがあったんですけれど、見てみるとだいたいが知っているお名前で。なんて言うのかな…いろんな派閥があるじゃないですか、業界内でも「あの人が出るなら俺は出ない」とか。僕にはそういうしがらみがあまりないので、よしもとのアートセクションの方が選んだ候補者にあたってみたり、僕が推薦したいアーティストを紹介したり、いろいろ話をしながら手探りで進めていきました。
なぜ「やんばる」かというと、観光客の多くは海洋博公園、美ら海水族館までしか北上してくれない。冬場は特に国頭村、大宜味村、東村のやんばる三村まで足を伸ばす人が少ないので、このイベントを冬のやんばるの風物詩に育てて北部振興の起爆剤になれば…という想いが主催者のよしもとさんにありました。僕としても、世界自然遺産の候補地でもあるやんばるの魅力を、アートの力で発信できれば…と思いました。
具体的にどういうふうにやったら良いのかなぁ…と考える中で、メイン会場が、(当時)廃校になったばかりの旧塩屋小学校だと聞きました。僕が若い頃、何十年前かなぁ~、30年前くらいかな、塩屋湾の高台に「シャーベイ」というホテルがあって。当時は広告会社でデザインをしていて、そのホテルでレリーフをつくっていました。塩屋に長期滞在して、毎日作業が終わると塩屋小の体育館下で釣りをしたりして。そんなわけで塩屋小のロケーションの素晴らしさはよく知っていたので、第1回目は、「海に浮かんでいるような塩屋小の体育館を方舟に見立てて、そこにアートを運ぼうよ」というコンセプトで、「ヤンバルニハコブネ」というテーマを立てました。

阪田:話が来たというのは、その前の年2016年になるのでしょうか?

仲程:いや、その年の4月頃でしたね。企画案は仕上がっていましたよ、こういう人たちを呼びたいという。

阪田:それは、よしもとさんが進めていくような形で?そこにあとやっぱり、中心になる方が必要という…。

仲程:そうですね、運営はよしもとさんですが、中心にはやはりウチナンチュがいて欲しいということで。上の世代も下の世代も知っている、ちょうど中間の年代の人間にディレクションして欲しいということでした。

仲程長治さん

コンセプト、組織・運営体制、作家選定

阪田:1年目から3年目まで通してのコンセプトについて、お聞きしてもよろしいでしょうか?

仲程:1回目は、「ヤンバルニハコブネ」。最初は、こう…。何もないところからの始まりで、旧塩屋小学校を中心にやんばる全体を方舟に見立てて、あちこちから「未来に残したいアート」を運んで来ようというイメージです。その翌年の2回目は、今度はこの場所が起爆剤になって、新しいアートが飛び出していく感じかなぁ…と。2回目からは、中国や台湾からの参加もあったのでアジアも意識して。羅針盤と火薬と印刷が発明されたルネサンス時代にやんばるの文化復興をかけ合わせて、「ヤンバルネサンス」としました。
で、僕はね、「(自分が総合ディレクターを担当するのは)2回で終わるかなぁ」って思ってたの、自分の中で。

阪田:何回というのは、特に話はなかったんですか?

仲程:ないですよ〜。ただ、「やんばるアートフェスティバル」の総合ディレクターということで京都国際映画祭のアート部門にも3年間参加させていただいて、沖縄の外でも(やんばるアートフェスティバルの)広告塔のようなことをしているうちに、どんどんやんばるへの愛情や理解が深まっていって。沖縄の北部を紐解いていくと、琉球の創世神であるアマミキヨが最初に降り立った聖地があったり、自然を含めて沖縄全体を最北端で守っていることがわかる。そんな中で、今年の夏くらいに3回目の総合ディレクターのご依頼をいただいて、今回は「漢字がいい」というお話もあったので、安須杜御嶽、黄金森から着想を得て「山原黄金之杜(やんばるくがにのむい)」がテーマになりました。「アートで鎮守の杜、創造の杜をつくろう」というコンセプトです。
最初に「今年のコンセプトをください」というお話があって、立てたテーマに沿って企画をまとめていくというやり方ですね。

阪田:そうですね、3回目は、これからだと思いますが、その活動していく中で特に大切にされていること、あるいは場所との関係で気が付かれたことなど、もしありましたらお聞かせください。

仲程:大切に…。やっぱり、回を重ねるごとに村の人たちと関わる機会が多くなっていますし、地域の人たちに喜んでもらえる、地域の誇りになるようなイベントになってほしいと思います。
つい先日も、毎年やっている大宜味村の作品展(おおぎみ展)を観に行ったら、子どもたちのアートがすごく変わっていて。それを大宜味村長に話したら、「やんばるアートフェスティバルが始まってから、子どもたちがアートに参加するようになって、すごい大作をつくっている」と。その時に見たのは、幼稚園か保育園の子どもたちが自転車の車輪にインクをつけて絵を描くというユニークな作品でした。

阪田: 実行委員の方であったり、地域との繋がりであったりとか、やっぱりすごく大事だと思うんですが、1回目から比べて参加者側の方で変わったとかもありますか?

仲程:県外から参加するアーティストさんが、例えば「沖縄のこの方言を知りたい」とか、「これはどういう意味なのか?」とか、制作前に尋ねてくることが多くなっていますね。沖縄をことをよく知らないけれど、沖縄って、やんばるって、どんなところなの?と。やんばるをもっと知りたい、やんばるに滞在して作品をつくりたいという人たちが増えてきていると思います。

仲程長治さん

阪田:1回目はもう少し県内の作家さんが多かったのでしょうか?県外の作家さんが増えたというのは、何かありますか?

仲程:「やんばるアートフェスティバル」の特徴は、エキシビション部門とクラフト部門という2つの部門があることなんですが、クラフト部門はすべて沖縄の工芸作家さんです。エキシビション部門では、アートプロデューサーの金島隆弘さんが積極的に県外や海外の著名なアーティストを誘致しています。2回目は台湾と中国から、今年はヨーロッパからもの参加もあって、その影響で中国や台湾など海外のメディアも取材に来てくれました。

阪田:作家の選定はエキシビション部門のディレクターの金島さんがされているのでしょうか?1回目には入られてはない?

仲程:参加するアーティストの選定は金島さんと、よしもとのアートセクション(よしもとアーツ)の担当者がしています。金島さんは1回目に観に来てくださって、2回目からディレクターに就任しています。

阪田:最初、よしもとさんから(沖縄で)こういう事をやりたいと話が来た時には、何か意図があったのでしょうか。

仲程:よしもと沖縄の代表からは、春に開催されている「沖縄国際映画祭」と、冬のやんばるで開催される地域芸術祭を「沖縄の2大コンテンツにしていきたい」という想いがあると聞いています。吉本興業の大崎会長も、ご多忙の中、毎年必ず会場に足を運ばれて一つひとつの作品をじっくり鑑賞されていますよ。

阪田:そうですね、この繋がりで、運営についてもう少し話を聞かせていただけますか。
1回目は、今よりも入ってくる企業がもう少し少なかったような気がしたのですが?

仲程:スポンサーは初年度から大きな変化はないと思いますが、少しずつ増えているようですね。

阪田:じゃあ運営はそのスポンサーと、あと助成金とかも取られていますか?

仲程:今年は助成金を取っていないと聞いています。昨年は「文化庁メディア芸術祭」との共催がありました。

町田:各作家への支払いなど全体予算はよしもとさんで管理されている?仲程さんは把握されていない?

仲程:していないですね。全体予算については実行委員会が管理しています。

阪田:そのほかに会場を見る方(監視員)とかも結構いらっしゃいますよね?

仲程:スタッフは学生さんですとか、地元村民のアルバイトも募集しています。 今年は大宜味村のおじぃ、おばぁたちがボランティアで会場に滞在してくれて、やんばるのコンシェルジュをつとめてくれました。アーティストも裏方も顔見知りが増えて、その辺りはずいぶん変わってきましたね。

阪田:それは、凄い素敵なことですね。こう何回か重ねていくなかで関わりが増える。

仲程:地元の方に顔を覚えてもらうまでが大変ですね。

阪田:さっきのディレクターの金島さんのお話とも重なるかもしれないんですが、1回目から3回目まで、参加する作家の推薦の選定について、お話をお聞かせ頂けたらと思います。

仲程:作家の選定に関していえば、僕の役割はディレクションというより、現地コーディネイターに近いですね。アーティストを推薦することもありますけれど、選定は金島さんたちにお任せしています。中にはやんばるに1ヵ月以上滞在して作品をつくるアーティストさんもいますよ。皆さん、採算は度外視です(笑)

阪田:その現地制作になる土地の場所の確保とかも作家さんがされたりするんですか?

仲程:それはもちろん運営側がお手伝いしたり、作家さんの希望を聞いてご紹介したりしています。

阪田:作家さんが来て、現地での設営は大体いつぐらいから始まるんですか?

仲程: それぞれバラバラですが… 早い人は夏の終わり頃からちょこちょこ通いながら、とか、1〜2ヶ月前からとか、1〜2週間前から長期滞在して制作する人もいます。他で作ったものを持ってくるのではなくて、やんばるで新しい作品をつくる、ということも特徴のひとつだと思います。

町田:県外からの参加作家が多い印象ですが、せっかくなので沖縄の作家も紹介してほしい気持ちもあります。

仲程:そうですよね。今年は初めて公募をして予想以上にたくさんの応募が来ましたが、沖縄のアーティストさんが選ばれて、展示をしていただくことはなりました。パラリンアート(障がい者アート)の沖縄版もありますし、沖縄のアーティストは何名か必ず参加していますよ。

阪田:中心になっている小学校は、すごく気持ちのいい空間ですよね。作品を見ていても、そこに地域の人たちが…子供たち遊びに来ているとか。作品の要素にその地域の人たちの様子も入ってくる柔らかい良い空間だなというふうに思っていました。

仲程長治さん

今後の展開について

町田:海外の作家が加わると国際美術祭という名称になりますけど、一方では、やんばるは地域にあの根差した芸術祭なので、地元との連携は欠かすことが出来ない事だと思うので、現代美術と受け入れ難いメディア?を、どういうふうに折り込ませているのかな、今は沖縄県内でも幾つか、そういった芸術祭が開催されている中でいい意味での差別化というか違い?みたいなもの等あればお聞きしたいです。

仲程:ジャンルにこだわらず、やんばるでしか生まれないアート、やんばるでしか出会えない体験ができる、唯一無二のアートの祭典だと思っています。

阪田:今後の展望として、来月には第3回目が始まりますが、来年以降も含めどのような展覧会を目指していきたいかお聞かせいただけますか

仲程:やっぱり、地域の子どもたちやおじいちゃん、おばあちゃんが元気になるような芸術祭であってほしいですね。やんばるを題材にした、おじちゃんおばちゃんの作品を展示する場所があったりとか。絵や書だけがアートじゃなくて、やんばるって、目の前の風景や暮らしがそのままアートみたいなものだから。逆に、やんばるを那覇や東京に持って行って、「やんばるアートフェスティバル」を都市でやるとか。移動展、巡回展じゃないですけれど、ぜひ離島にも持って行きたい。やんばるでつくりあげた作品たちを、終わったら壊すんじゃなくて、そのまま置いておいたり、どこかへ移動させたりとか、何かできないかなぁと。
あとは、アートを買ってもらうこと。誰かにアート作品の営業をやってほしいなぁていう話をしています。やっぱり、作品が売れてアーティストが育っていきますからね。売れないと育っていかない。

阪田:ではこの辺で、本日はありがとうございました。

聞き手阪田清子、町田恵美
収録日2019年11月25日