Interview アートに関わる様々な方へのインタビュー記録

町田恵美

沖縄県立博物館・美術館

Profile

沖縄県立博物館・美術館教育普及担当学芸員(2007~2016)を経て、フリーのエデュケーターとして活動を始める。 沖縄を拠点に、県内外を行ったり来たりしながら、沖縄(との関わりなど)について考えている。

美術館に関わるきっかけ、happの立ち上げ

宜壽次:はじめに美術館に入る前の話をお聞かせください。

町田:もともと高校、大学では美術以外の科目を専攻していたのですが、学芸員の資格は持っていて、絵を見たりすることも昔から好きでした。大学卒業と同時に沖縄に戻り、その頃沖縄県立博物館・美術館が建設中でした。建設準備室が主体となって開館後、展示の解説員(ドーセント)育成目的の講座を開講していて、それに参加をしたのが関わるきっかけになります。そのときに前田さん、翁長さんと知り合いました。そこには20人くらいの方が参加していました。半年か、一年の講座が終了する頃に、博物館の友の会に相当する組織を美術館でも立ち上げるので、事務局にどうかと誘われ、なにをやるかもわからなかったのですが(笑)おもしろそうだなと思って引き受けました。そこから、宜壽次さんもそうですが、WISEの金城さんや尚生堂の大湾さんなど美術館の立ち上げ当初に関わった方々と知り合い、一緒に幾つかの事業を行いました。
 その組織というのがhappで、美術館からは前田さんが主に関わっていました。館自体がまだないなか、コープの二階の会議室を借りて、専門家を招いた講座やパレット久茂地のイベント会場で「もうすぐ美術館」といったグッズをつくってPRをする催事などを開催していました。講座もそうですが、県芸術祭などでボランティアの展示解説、ドーセントの実施や、教育普及に近いことをしていたので、開館直前に指定管理者1に決まった文化の杜共同企業体(以下、文化の杜)から教育普及担当の学芸員として声が掛かりました。結局、美術館の開館時にはhappの事務局は別の方が就きました。

町田恵美

開館してから、教育普及という仕事

宜壽次:美術館ではどういったことをされていたのでしょうか。

町田:開館後は、happと連携を取りながら行う事業もありました。夏休みのワークショップなど、いまでも継続しているものもあります。あと博物館との複合施設でもあるので、博物館の担当と協力することや、指定管理者の要項に定められた県の事業と、指定管理者独自の事業もあり、仕事は多岐に渡っていました。その都度、いろんな立場の人と調整して話し合って、やっていた感じです。
教育普及の仕事も学校対応からボランティアの育成、展覧会の付帯催事と本当にたくさんあって、班体制、チームで分業しながら進め、担当は置くけど、内容を全員が分かっている状況で、いま誰々はなにで困っているのか、みんなが声を掛けるようにしていました。ときには班を越えて、企画や総務にも応援してもらうこともありました(笑)。逆も然りで、上司を含め連携を図る組織の環境には恵まれていました。周りの協力があったからできたなといま振り返っても思います。
いまは県の体制も変わりましたが、私の在職中は県の職員(学芸員)は学校現場からの配属された方が主で、教育普及の担当者もいる間に何度も替わりました。そのたびに引継ぎをしないといけなくて、本来蓄積するべきことがなかなかできないジレンマはありました。配属された方に非があるということではなく、教員と学芸員は違うので、目的が異なる分、そのズレを埋めるための努力もありました。美術館採用の学芸員が増えたことは大きなことだと思いますし、変わるのを期待しています。ただ、副館長と教育普及担当は引続き、学校現場からの配属ではあります。学校連携を重視していることもあると思います。実際、その点においては有効かもしれません。
もちろん学校対応も重要なミッションのひとつですが、美術館という場所は社会教育施設なので、いろんな層の人たちに働きかけるプログラムの提案を心がけていました。子どもたちが学習の場として活用するのはもちろん、学校でできない体験を提供する意味で、アーティストを講師に起用し、接する機会となるようなワークショップや、ワークショップというと子どもが参加するイメージがあると思いますが、なにかをつくるだけでなく、話し合ったりする場もワークショップとして、子どもだけでなく大人もたのしめるようなワークショップを企画したりもしました。美術館だからできること、を意識していて、アーティストにとっても講師として美術館と関わることでなにかしらの波及効果があればいいなと思っていました。
展覧会の付帯催事についても連続性や、先を見据えた人選を考慮して、この人をいま呼ぶ意味とかを展覧会の担当とよく話をして一緒に考えていました。そうやって県内外を問わず、いまでも続くいろんな方々に会えた気がします。

展覧会について

宜壽次:年に数回行われる展覧会が県主催と指定管理者主催のものとがありますがその違いやどういった経緯で開催は決まるのでしょうか。

町田:いまは分かりませんが、文化の杜は有識者によるアドバイザー会議を月一で持ち、展覧会について話す場としていました。宮城潤さんやタルガニーの大田さん、西村貞雄さんなどにこれまでアドバイザーとして参加いただいています。県については詳しく分かりませんが、展覧会の必要に応じて、専門の方にアドバイスをもらっていたりするんじゃないかと思います。過去には実行委員会形式で開催した展覧会もありました。
指定管理者は、入場料が運営費になるので、研究の成果を重視した展覧会だけでなく、集客の見込める大型の展覧会もテレビ局や新聞社と連携して実施しています。そのことで是非を問われることもあるますが、美術館を知るきっかけとなる場合もあるので、判断が難しいところです。もうだいぶ知られてきてはいると思いますが、やはりまだまだ一般の方からみると、指定管理者という制度は分かりづらいと思います。この制度自体が期限付きなので、本来なら何年先まで見越して計画すべきことが難しいのが現状です。そうしたなか、文化の杜から現在の指定管理者の美ら島財団に継続したスタッフも多くいるので、指定管理者内部の学芸員の育成、蓄積は着実にできているのではないかと思います。

町田恵美

その後の展開について

宜壽次:美術館を辞めるきっかけはなんだったのでしょうか。

町田:いまでもよく聞かれるんですが、不仲だった訳でも、特別なにか別でやりたいことがあった訳でもないです(笑)。しいて言うなら、タイミングでしょうか。指定管理者の交代がいいタイミングかなと思い、もし私じゃなくてもできる人がいれば私は別のことをしてみようかなと思い、館を離れる決意をしました。とはいえ、いまでも展覧会を手伝うなど出入りはあり、いい加減距離を置こうと本気で思っています(笑)。館の仕事をやりきったとかではなくて、やるべきことは幾らでもあると思いますが、戻りたいとかはなく(笑)、いまいるメンバーにがんばってほしいという気持ちでいます。
在職中のエピソードもいろいろあるんですが、やはり人との出会いが大きく、たとえば石川竜一さんとか、彼が美術館で開催した講座に参加したときに出会って、今度美術館で開催する展覧会に参加することが決まり、それをいま手伝っている。こうなるとは思いもよらなかったので、同世代の活躍を見届けられていることは単純にうれしいです。いっぽうで、上の世代にも本当によくしてもらって、そうした経験は今にも活きていますし、彼らの仕事もちゃんと次に残していかなければと思っています。そうした意味で、racoの活動もそうですが、アーカイヴしていくこともちゃんとやっていきたいです。
あと、いままでやってきたことを整理しようと思い、大学院に進学しました。なにを目指しているのかと、謎が謎を呼んでいます。教育学部に籍を置いているので、教育に携わることを志す学生などと知り合う機会になっています。私のように教員以外で教育に携わる立場というのは珍しくもあるようですが(笑)。教育って、なにかを教えるのではなく、自ら学ぶものだからこそ、まだまだ知らない美術の分野をもっと知りたいという興味が常にあります。
今後についても職業不定のふらふらしている人がひとりくらいいてもいいかなと、ここまで、といった枠を自身で設定しないでおこうと思っていて、最近は海外との関わりも増え、あまり距離を感じなく考えることができています。沖縄にいながら沖縄のことを考えてはいるんだけど、また違った立場から見ることもできるのではないか、沖縄だけに留まらない見方も取り入れ、今後の活動に活かせたらいいなと思っています。基本的には、やりたいことだけやりたい怠け者なんです。

1)指定管理者:地方自治体が所管する公の施設について、管理、運営を、民間事業会社を含む法人やその他の団体に、委託することができる制度。公の施設の管理、運営に民間等のノウハウを導入することで、効率化を目指すことを目的とする。

聞き手宜壽次美智、親川哲
収録日2019年8月23日