Interview アートに関わる様々な方へのインタビュー記録

平岡 昌也

2010年代

Profile

画家/アーケイド代表

沖縄市での活動について

宮城:平岡さんが福岡から沖縄に移住をしたきっかけと、沖縄市の商店街でアーケイドを始めるに至った経緯などをKoza A.I.R(※1)から順にお聞かせいただけますか。

平岡:妻が沖縄の人で、結婚を期に2010年の3月に沖縄に来ました。
未来さんから「なんだか最近コザ盛り上がっているよ」みたいな話を聞いて、今お話ししているアーケイドの階下にあるOne’s Room Gallery(※2)でのグループ展「ueki・」を観に行った時に、そこでいろいろ作家さんとお話していく中で、「Koza A.I.Rがあるよ、出してみる?」みたいな話からだったと思います。アーケイドは2012年からです。この辺にいろんなアートスペースができる年があったと思うのですけど、秋友かんなさんが運営している事業の中で、空き店舗をアートスペースに変えていく取り組みの一つとして、ここもリノベーションしていただきました。
壁の施工後も自分たちでのんびり改装を続け、2012年7月にオープンしました。石垣克子さんのskskや、吉濱翔君夫婦のアーツ・トロピカルの前身space tropicalも同じ事業です。ステンドグラス作家深瀬さんのアトリエ兼ショップや、ダンススタジオgalaxyさん、他にも、ギャラリーやアトリエが次々にオープンしていく印象でした。各スペースで、オープンした時期は違いますが、大きく事業が行われたのは一つの年度(2011年度)だったのかなと記憶しています。

宮城:当初は企画展をするスペースとして考えていましたか?

平岡:最初は、ビューイングルームというのを作りたくて。アポイント制の、内覧会用のひっそりとした展示空間ですね。展覧会を公にやるわけじゃなくて、作品が常設されていて、興味がある人にいつでも見てもらうという場所を作りたくて。それは、沖縄は海に囲まれていて、例えば個展を2週間やればその間に、必ず見て欲しい人が県外から来るとは限らないじゃないですか。ずっと展示していたら逆に沖縄は1年間通してとか2・3年位の長いスパンで見れば、見て欲しい身近な人たちも意外に沖縄に遊びに来ていたり、美術関係の仕事をしている人も意外と来ているけど、個展の期間となるとタイミングがすごく難しいっていうのを感じていて、常設という形が沖縄では合うのかなと思ったことがきっかけで作った空間です。最初は。で、それだけじゃ面白くないねっていうことで、小さく部屋を区切って企画展示だけをする部屋とか、当初は使い道を分けて壁を作っていたんですよ。
あとは、どうやって運営していくかみたいな時に、シェアスタジオもあって、いろんなアーティストと刺激し合いながら制作して展示できたらいいね、ということでアトリエの空間も作って、という間取りです。昔、福岡で活動していた時の共同アトリエ・3号倉庫の影響もあります。アートシーンや音楽シーン、何かが生まれる時には、熱狂する場があり、密接な関係がありますから、そういうものが作りたかったんだと思います。ただ、最初に一番大事にしたかったのはビューイングルームです。今はないですけど。

宮城:シェアスタジオとして貸していた時があったのでしょうか。

平岡:いまもシェアをしていて、ここの壁の向こう側は宮城クリフさんという沖縄のペインターの方がオープン時から使用されています。その奥は沖縄出身じゃないですけど、アメリカ出身のペインターロレーンさんのスタジオです。アートの役割自体がそうですけど、皆毎日必要とするわけじゃないですけど、自分を取り戻すためにふとした時に要る場所っていうか、そういうユートピアのようなスペースをできるだけずっと、のんびり維持していけたらなとは思っています。

宮城:レジデンスと絵画教室についても、お伺いしてもいいですか?

平岡:絵画教室と同時期に始まりました。レジデンスの1回あたりの期間は短いですけど。企画をやるのは介川貴晶君という人がやっています。今もメンバーとしてアーケイドにいるのですが、今東京に住んでいて、子供も2人目が生まれてですね、最近はなかなか年に何度か沖縄に来るくらいですけど、県外のアートフェアに出品する時とか、介川君が中心でいろいろやってくれていて、当時ここでやっている時も企画展は介川君が企画したい作家を選んできて滞在制作をしてもらっていました。介川君は最初からいて、壁塗りから床のワックスがけから、何でも一緒にやってアーケイドを作りました。

宮城:滞在制作ごとに何か助成金を取って活動してたんですか?運営はどうしていたのですか?

平岡:ジュネチック(※3)の時以外は助成金とかは無く、アートフェアとか出す時も、そういう過去に企画展でやってくれた方は、結構出品してもらうのですけどそれも別に何もない、お金をこうマージンをもらうとかも無いですし、皆で盛り上がれれば…みたいな感じです。
去年のアートフェア出品はスペインのSWAB(Swab Barcelona International Art Fair)かな。国内もありますけど、後は福岡のホテルオークラの中でやっている「ART FAIR ASIA FUKUOKA」とか東京の「THE ART FAIR + PLUS-ULTRA」(プリュスウルトラ)というものに出品しています。ビューイングルームとしてスペースを使わなくなって、バランス的に自然の流れで外に出ていこうという気持ちにシフトしつつ、常設の機能も無くなっていったような・・・。どっちもやらなかったら何か気持ちの折り合いがついていかないかもですけど、発表はアートフェアとかそういう時にするようになって。皆忙しくなっちゃったというのもあるんですけど、1年通してここで何かやるというよりも短期集中で、どこかで一緒にわぁーっと楽しく発表して・・・みたいな。クリフさんもアトリエはあるのですけど、クラフトビール製造の方で今忙しいので、本当に来られる時だけ来てっていう、場所の使い方もちょっと変わってきているのかなと。

宮城:絵画教室を始めたきっかけというものが何かありましたか?

平岡:きっかけはいろいろあるのですが、この辺りの高校生が困っていたというのが一番かな。美術予備校が周辺に以前あったんですが撤退されたのかな。その後に困っている高校生とかがいて、部屋もまあまあ大きかったので、じゃ絵画教室やろうかみたいなことになって。ただ思いとしては、こういうアートの基盤づくりじゃないですけど、ソフトな形の無いもので、そういう基盤づくりをしていきたいなって思いはあったので、すごくしっくり来ていて、次の世代を育てて行くみたいな、そういう感じです。実技だけでなく、作家として苦労したこと、素晴らしい出会い、これまでの活動で感じること、様々な現状、できる限り生の声を伝えています。
受験生クラスの開設の後、社会人クラスの問い合わせも多くあって、じゃあ受け入れますみたいな形で。そんなに営業はしていないので、口コミなのか何なのか。その後に子どもクラスの問い合わせがすごく多くあって。それも嬉しくて、アートに興味ある子がいっぱいいるんだなと感じて。未来は捨てたもんじゃないなって思えた瞬間の1つでした。
子どもクラスのきっかけは、ちょっとすでぃる(※4)と関係するのかな。すでぃるに出品されていた村松芽(旧姓:山城)さんと、子ども向けの美術教室についてお話しする機会がありました。自分も小さい子ども向けの絵画教室もつくれたら良いなって思っていた時期なのもあって、じゃあ一緒にやりましょうかと動き始めたのが去年ですか、結構最近です。
アーケイドのあるこの場所は商店街じゃないですか。アートスペースアーケイドの中の人達も皆自営業で、何かそういう自分だけの信念を持った生き方をする人が集まる場所になったらいいな、っていう想いは当初からありました。芽先生も自営業ですしね。沖縄こども美術教室の、芽先生の担当するクラス名は、それ自体が芽先生のお仕事の屋号でもあって、「こどもARTLABたねクラス」っていうんです。開講スケジュールとしては、週末の土日は年少~中学1年生までの、こども教室を開講していて、平日はアーケイド絵画教室っていう名前で、芸大・美大受験生対象に運営しています。

平岡 昌也さん

ジュネチックとイチハナリ、マブニ・ピースプロジェクトまで

宮城:アーケイドが一番活発に活動していた年代というのは2013年頃になりますか?
ジュネチックとかイチハナリ(※5)の美術展に参加をし始めたのも同時期でしょうか?

平岡:ジュネチックの前年2012年に、第1回目のイチハナリアートプロジェクトが夏にありました。自分は嘱託でうるま市の観光物産協会で仕事をしている期間がありまして、イチハナリに最初に関わったきっかけは、その時事務局としてなんです。ジュネチックin伊計島は、アーケイドと、かんなさんの琉・動・体(※6)と一緒にやった形になります。作家の選定から展示会場の配置などアーケイドのメンバーで行いました。今も残っている当時のメンバーは4名ですかね。

宮城皆さんで担当した展覧会ということなんですね。ジュネチックとイチハナリの違いと、それぞれの組織での平岡さんの活動を教えてもらえますか。

平岡:運営母体は全く違いますね。イチハナリは嘱託だったので、自分に発言力があるわけではなく、事務局の一員でした。第1回目でしたし、当時のプロジェクト発案者やメンバーは皆県外在住の方でしたから、アートをやっている沖縄の人が誰かイチハナリの事務局にいたらいいなということだったのだと思います。
ジュネチックは、嘱託を終えた後に始まりました。当時イチハナリの業務に携わる中で、アートに理解のあるうるま市の職員の方とも仲良くなって、いつかこういう企画を沖縄のアート関係者でやれたらいいなっていう思いが芽生えたことと、イチハナリのプロジェクトがもっとこうだったらいいのにな、みたいな思いもやはりありまして、同じ伊計島でやれたらなという気持ちがありました。
2019年の「うるまシマダカラ芸術祭」のディレクションをされている「プロモーションうるま」さんとも一緒に何かできるんじゃないかという信頼関係になり、旧伊計小中学校の1階で「暮らしにアートin伊計島」(プロモーションうるま)、2階で「ジュネチックin伊計島」の同時開催をおこないました。
ジュネチックは伊計島では1回だけ開催し、その後「ジュネチックinコザ」となって、アーケイドのある、この商店街の中で開催しました。3年計画で動き、集大成として最後の年にアートイベントを開催しました。

宮城その3年計画の最初の2年間というのは、滞在制作とかそういうことですか?

平岡:1年目が伊計島、2年目3年目がコザでの活動になりますね。他県のアートプロジェクトをリサーチしたり、商店街の店舗で朝食会を開いたり、アート関係者の囲む会(トークイベント)を開催したり、ですね。

宮城:全部アーケイドメンバーたちだけで、自力での開催ですか?

平岡:いえいえ、それはアーケイドでやっていたわけではなくて、ジュネチックin伊計島の時も琉・動・体の方たちの力をお借りして、という形です。特に伊計島の翌年からは、かんなさんの団体のスタッフとして参加しました。同じ商店街の中でアートスペースを持つ立場として想いを共有しながら、この地域にできることを一緒に考えながら活動させていただきました。

宮城:琉・動・体の企画ですか? 2年目、3年目の時は、平岡さんはどういう関わり方をしていたのですか?作家として?

平岡:運営側ですね。平良亜弥さんも同じスタッフとして一緒に活動しました。

宮城:商店街中を使った展示というわけですよね。

平岡:そうですね、その周辺まで会場でした。ギャラリーラファイエットさんや、ギャラリーM&Aさんも会場でした。アーケイドも会場でしたね。当時はもう美大受験生対象の絵画教室もアーケイドでやっていましたから、滞在制作や展示の現場を見ることが出来て、高校生たちはキラキラしていましたね。商店街では展示だけでなく、ジュネチックinコザのイベントの1つとして、一番街音頭の劇的な復活がありました。一番街音頭で、道ジュネ―をしました。とても印象的でいまでも鮮明に覚えています。毎週商店街の皆さんと夜に踊りの練習をして、楽しかったですね。

宮城1年に1度のペースで、こういう企画の美術展に参加をして、その間でご自身の制作や個展をしながら、アーケイドの運営もずっと活動を続けているような状態ですね。
すでぃるとマブニ・ピースプロジェクト(※7)の展示が2015〜16年から始まりますが、この時は運営ではなくて作家としての参加ですよね。これまでとの違いを聞かせください。

平岡:難しいですけど…。ただただ平和への想いで、歴史と向き合って。その時はもう祈りや願いのような感情で。そういった違いはあるかもしれないです。またジュネチックの話に戻りますが、ジュネチックの時には助成をいただいているからというのも勿論ありますが、自分たちの思いとしても「アートの基盤作り」「土台作り」というのが大切なキーワードとして強くあって。それでジュネチックin伊計島の時には、全員アートスペースとかアート団体の運営をやっていたりする立場の人たちを選んでいました。
この展覧会が終わってもずっと継続して何か活動している人たちを選びたかったんです。各運営されているスペースでも同時期に展覧会が開催されて、伊計島の展示会プラス各アートスペースも巡ってもらうっていう、道ジュネーみたいなイベントになりました。タイトルの「ジュネチック」の由来もそこです。いろんなとこに繋がって行って、場所だけじゃなくて記憶も人も時間も、今後もずっと繋がって継続していくような活動をというか、徐々に全然アートに興味無い人も繋がって行けたらいいなっていような、そういう基盤づくりでした。自分が、かんなさんのところにスタッフとして在籍していた期間は限られていますが、そのずっと前から、かんなさんがコザで実現されてきたことや想いもまた、何か場所に根付いていろんな相乗効果で活性化していければっていうことだったと思いますし、アーケイドもそういう想いはありますね。話がそれましたが、そういう中での作家選定でした。それがマブニ、すでぃるでの自分の作品制作と、ジュネチックやアーケイドの活動の想いの違いの印象ですが、結果として、ジュネチックに参加していただいた作家さんや運営メンバーの多くがまた、マブニ・ピースプロジェクトで展示をされています。繋がる、共通する想いはある気がします。
ジュネチックin伊計島の出品作家、児玉桂さん美咲さん夫婦は、伊計島のご近所の屋慶名でアートスペースを運営されていて、その「YAKENA1129」(※8)での同時開催はとても意味のあることでした。アーケイドや、コザの窓、石垣克子さんのスタジオskskでも展示会が同時期におこなわれました。

平岡 昌也さん

沖縄での制作、発表、活動していくこと

宮城平岡さんの活動ですが、地元の九州で発表することも多いと思いますが、沖縄での制作、発表についての考えをお聞かせください。

平岡:今年はすでぃるの後、辺野古の瀬嵩にある名護市久志支所ホールというところで7月に展示があったんですけど、それがすごい自分ではしっくり来ていて。最近は辺野古のこととかが作品のテーマになる場合が多いです。自分は素朴なタイプの画家なので、日常の体験や経験がそのまま作品になっていくので。ずっと雨をテーマにしているのですけど、恵みの雨の降って欲しい場所とか事柄とかそういうのを絵にしていて、それを県外で発表することにはすごく思い入れがあります。海外でのアートフェアでも、辺野古をテーマにした作品を発表しました。何かそういう県外で発表する時の思いと、辺野古で展示した時の思いは、違った感覚でした。何というか、やっと現場で展示できたな、みたいなのはありました。
この間の辺野古での展示の時は、2016年に当時1歳の息子と見た辺野古とか、17年の辺野古、18年・19年と幾つか展示しました。全部雨が降る風景ではあるんですけどね。

宮城じゃあ作品がホームに帰って来たみたいな感じですね。

平岡:そう、そうですね、それがすごく嬉しかったのを、肌感覚として覚えています。摩文仁でのすでぃるも、根本で歴史的にも繋がるところがあって。平日のみの3、4日間の展示だったのですが、出品作家の中で新作をつくった方もいますし、やはり日頃からそういったテーマで作っている人もいて、自然体で、日常的で、それが何か良かったですね。
アーケイドの活動においては、人に恵まれていると思っています。出会えた方たち、皆さん地に足の着いた活動をされているので、その中で自分の制作する意味や生き方自体も変化してきた感覚があります。

宮城プラザハウスで開催している子どもたちの展示は初めての開催ですか?

平岡:1回目は、沖縄県立博物館・美術館の県民ギャラリーで今年の初めにやって、今回は2回目です。前回が那覇だったのでせっかくだったら、この辺の子供たちが多いので、近くでやりたいなというのとか、あと基地の中の子とかも結構生徒でいるんです。ハーフの子とか両親二人共日本人じゃない方とかもいて。
生活の中で特別のものじゃなくて、普通にショピングをやりながらアートにも触れて貰って、みたいなのを子供たちに経験して欲しいなっていうのもあって、プラザハウスで開催を決めました。
コンクールも同時にやっていて、教室の生徒だけじゃなくて、沖縄全体に募集かけて、いろんな子どもたちがアートに触れる機会になればいいなっていうのは考えていて、応募者の作品は全部展示する方針でやっています。こども教室の指導を絵画教室の出身の子たちがやっています。村松芽先生のクラス以外はみんなそうです。県立芸大生が講師やアシスタントをやってくれています。
あまり絵画教室とか予備校という感覚ではなくて、何て呼べばいいか分からないので、分かりやすいようにそう言っているんですけど、アートスペース・アーティストに出来ることっていうくくりの中で、あくまでも表現する立場の人間として次の世代に伝えていけることをやっていきたいという形が、たまたま絵画教室だったという感じです。

宮城絵画教室というものにシフトチェンジじゃないですけど、何かそういう空間でもいいのかなと思えるようになったということでしょうか。

平岡:最初は、ずっとビューイングルームをやりたいと思っていて。ホワイトキューブのシンプルなスペースを維持したいと思っていましたけど、全然グチャグチャになっちゃったんですけど、ジュネチック伊計島は、すごい大きなきっかけだったとは思います。
ジュネチックでは、形の無い文化の土台作りのようなソフト面に取り組んでいたので、多くの来場者で盛り上がればそれで成功ということでは勿論なくて、作品制作・発表以外で手ごたえを感じた唯一のことというか、自分の中ではそんな考え方になったきっかけではあると思いますね。
ジュネチック以降はかなり個人に戻って来た感じがあって、最近は絵を描くのが楽しいんです。でも、これからの世代と何かやりたいですね。あと、そういう世代を後押ししてあげれるだけの力も欲しいです。自分もたくさん後押ししてもらって、今があるので。

宮城長い時間、ありがとうございました。

Koza A.I.R(※1)
OCV(Okinawa Creators Village)が2010年に企画した沖縄市の商店街でのレジデンスプログラム。平岡昌也、タワン・ワトゥヤ(TAWAN WATTUYA)の2名が参加。

One’s Room Gallery(※2)
沖縄市一番街にある、アーティスト大塚泰生と佐刀大地が主宰するギャラリー&スタジオ。

ジュネチック(※3)
平成24年度に行われた伊計島での現代アート展。翌年度から沖縄市一番街商店街およびその周辺にて、滞在制作、リサーチ、トークイベント、意見交換会などが行われ、平成26年度に「ジュネチック in コザ」が開催された。

すでぃる(※4)
2015年に県内5ヶ所にて行われた戦後70年沖縄美術プロジェクト。美術展やパフォーマンス、シンポジウム、ワークショップ、上映会などを開催。

イチハナリ(※5)
伊計島にて2012〜2017年に毎年開催されたアートプロジェクト。2015年からは宮城島、平安座島、浜比嘉島にも展示の範囲を広げる。2019年からは後継イベント「うるまシマダカラ芸術祭」が始まる。

琉・動・体(※6)
2002年設立のNPO法人。『「アート」がつなぐ「人」と「場所」』をスローガンに多様な文化インフラの創造、地域創りを行う。

マブニ・ピースプロジェクト(※7)
2015年に開催された「すでぃる」内のアートプロジェクト名。「マブニ・ピースプロジェクト」名で2016年以降も継続して毎年美術展などを開催。

Studio YAKENA 1129(※8)
うるま市屋慶名にある、児玉桂・児玉美咲・安慶名光哉・金城徹が共同運営するギャラリー&スタジオ。

聞き手宮城未来、親川哲
収録日2019年8月19日